【オヌル・アタオールに聞く(1)】 トルコ人必読の日本指南書『ジャポン・ヤプムシュ』誕生秘話

トルコでは、これを読まずに「日本」は語れない。日本に関心を持ったトルコ人なら必ず手にすると言われているベストセラー『ジャポン・ヤプムシュ』シリーズの著者オヌル・アタオールさんに、ファンたちがシリーズの誕生秘話を聞いた。

【オヌル・アタオールに聞く(1)】 トルコ人必読の日本指南書『ジャポン・ヤプムシュ』誕生秘話

 

 

 

オヌル・アタオールさんは、経済参事官として駐日トルコ大使館に勤めた数年間の日本(にほん)での滞在経験を『ジャポン・ヤプムシュ』シリーズ三部作にまとめ、2010年から2013年にかけて出版した。

 

ユーモアと日本に対する真摯な態度が絶妙に混じり合った甘辛風の『ジャポン・ヤプムシュ』シリーズ三部作は、瞬く間に評判を呼び、ベストセラーとなった。オヌル・アタオールさんは、当時あまり高いとは言えなかった日本への関心を集めるきっかけを作り、遥か遠い国日本に一歩足を踏み出す勇気を与えた。

 

『ジャポン・ヤプムシュ』シリーズ三部作は、日本に興味を持ったトルコ人がまず手にすべき「日本の指南書」として、現在も多くのトルコ人に愛読されている。

 

 

 

 

シリーズのタイトルの『ジャポン・ヤプムシュ』は、TRT日本語では便宜上、「『ニホンジンはやってしまった!』(仮題)」とか「『ジャポン・ヤプムシュ(ニホンジンはやってしまった!)』(仮題)」とかとしているが、この「ジャポン・ヤプムシュ」の日本語を決めることほど難しいことはない。というより、不可能に近いのではないかと思われる。「ニホンジンはやってしまった!」は、三日三晩考えた末に出した結論ではあるのだが、正直に白状すると、実は未だに完全には納得できていない。それどころか、できることなら消しゴムで消してしまいたい・・・というのが本音である。オヌル・アタオールさんが言うところの「ジャポン・ヤプムシュ」に100パーセントぴったりとはまる日本語訳はないのではないか、というのが個人的な見解である。

もしもいつか『ジャポン・ヤプムシュ』シリーズ三部作の日本語版が出されることになったとしたら、翻訳する人は書名について、オヌル・アタオールさんと膝と膝を突き合わせてとことん話し合う必要があるのではないかと思われる。


 

それはさておき、日本を愛してやまないオヌル・アタオールさんは、日本の正しい姿を伝えるべく、大学を中心にトルコ全国で講演活動を行い、トルコと日本の友好と発展に大きく貢献している。ソフトな語り口で日本を語るオヌル・アタオールさんには、ファンが多く、講演会には多くの人が集まる。

 

 

そんなオヌル・アタオールさんの厚意により、ファンとの座談会が実現した。

 

ファンを代表して、インタビュアーとしてオヌル・アタオールさんにさまざまな質問を投げかけたのは、エブル・オクヤルさん、ビリゲ・ボスタンさん、メルベ・アクスさんの3人。3人とも日本をこよなく愛し、日本語の学習も熱心に行っている。

 

 

(左から、オヌルさん、ビリゲさん、エブルさん、メルべさん)

 

 

座談会は、首都アンカラのオラン地区にある土日基金文化センター(とにちききんぶんかセンター)で行われた。

 

今回はその第1弾として、『ジャポン・ヤプムシュ』シリーズ三部作の誕生秘話についてお届けする。

 

なお、トルコでは会話をする際、名字ではなくてファーストネームやミドルネームで呼び合うのが一般的なので、以下の座談会の記録は、すべてファーストネームで記載している。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

《本を書き始めたきっかけ》

 

メルべさん

どのように本を書き始めましたか。本を書く目的は何でしたか。

 

 

オヌルさん

日本に行くときは、本を書くつもりはありませんでした。

 

書くことにそんなに興味があったのでしょうか。

ある時期からそれは現れました。正確には学校で卒業アルバムを作るとき笑い話は全部わたしが書きました。友人たちの作文も・・・。このような小さい書き物を書いていました。

その後は職場でも書きました。旅行することが好きでした。旅行したところについて旅行記を書くのが好きでした。一度か二度、雑誌に載ったことがあります。でも、日本に行くときはこういう計画は頭の中にはありませんでした。

 

日本に着いて1か月が過ぎました。本当におもしろいハプニングに直面するので、それをいつも友人たちに書いて送っていたのです。そしたら友人たちが、「このような素晴らしいネタがあるのだから、これをまとめて本を書いてください」と言いました。

「オヌルさんが書かないなら、私が集めて、本にする」と言ってくれた人もいます。

 

その日から、もしかしたら本当に本を出すことができるかもしれないと考えるようになりました。それで、自分で計画を立てて、メモを取り始めました。どこかに行く前に調べて、行ったらたくさん写真を撮ってメモしました。

 

そもそもこういう問題があります。たくさん読んだ人のほうが知っているのか、それともたくさん旅をした人のほうが知っているのか。実はその中間です。つまり、たくさん旅したのと同じくらい日本についてたくさんの本を読みました。

これが全部ひとつになって、どんどんたまりました。そして非常に大きな原稿ができたのです。実はこれはすこし「好き」という気持ちから始まりました。

 

 

 

 

《執筆から出版まで》

 

エブルさん

本は、手元のネタから1冊の本を作ろうという考えで書き始めましたか。2冊か3冊になるだろうと考えて、それぞれの巻の内容をそれに応じて選びましたか。

 

 

オヌルさん

実は、3冊のつもりは全くありませんでした。

下書きだけがありました。帰国の日が近づいた頃、少しずつまとめたり章に分けたりし始めました。

トルコに帰国した後も、長い間それを続けました。当然のことながら、たくさん時間を割くことができませんでした。仕事を始めたり、2人目の子どもが生まれたりしたので。でも、できるだけ時間を見つけて手直ししました。

 

その後は、長い間出版社探しをしました。

これはもちろん、それほど簡単ことではありません。有名人ではないという状態で、何かを作って「日本について書きました」と言っても見下されて、顔をしかめられて・・・

 

 

エブルさん

「売らない」と言われて・・・。

 

 

オヌルさん

先程言った通り、当時は日本への関心が低かったです。今は関心がとても高くなりました。「海難1890」という映画や、日本におけるトルコ年(2003年)や、トルコにおける日本年(2010年)などからもそのことが言えます。

 

ですが、その後も、さらにいくつかの出版社に原稿を送りました。そして、ついに出版社のオーナーが原稿を読んでくれて、おもしろいと思ってくれたらしい。風刺作家のルファット・ウルガズ(1911〜1993)の息子だから、もともと笑い話だのユーモアだのには関心を抱いていて、「この原稿おもしろいよ」と言ったそうなのです。

 

その後、出版社の編集社と話したり、メールで連絡を取り合ったりし始めました。

 

私はパソコンでワードを使って、A4サイズで原稿を書いていたので、書いたものがどれくらいの分量になっていたのかは全然わかりませんでした。

そしたらある日、編集者にこんなことを言われたんですよ。「オヌルさんが書いた原稿は700ページ分くらいある。これを1冊の本にすることはできない。これを1冊の本にしたら、人は『なんだ! この分厚い本は!』と言って引いてしまう」とね。

それなら2冊か3冊に分けようということになって、最終的に3冊にすることになったんです。ポツリポツリと連作のようにしたら注目してもらえるだろうって。

 

本を読んでいただけたらおわかりになる通り、3冊の本は、テーマによって分けました。1冊目は、日本の歴史や文化や芸術や宗教や言語など。2冊目は外国人として日本に住むことや人々や社会的な関係や日常生活など。3冊目は完全に旅行がテーマです。3つのテーマで3冊になりました。

 

 

 

 

《読者の反応》

 

メルべさん

読者からどんな感想が来ましたか。

 

 

オヌルさん

一番嬉しかったことのひとつは、99パーセントの人から好意的な反応を得たということです。なぜなら私たちは批判好きの社会の中にいるからです。人々は賛辞の言葉を常に言いませんが、目にした些細なことを批判したり悪く言ったりすることに快感を覚えます。

 

しかし、私は本に連絡先も書きました。メールやソーシャルメディアを通じて本当にたくさんの人が感想を送ってきました。

 

ほぼ全員が非常に多くの情報を得たこと、とても変わったことを知ったこと、楽しみながら読んだと言ってくれました。

もちろん、2、3人からは批判も来ました。「1冊目は歴史の部分が長すぎる。読んでも読んでも終わらない。歴史ばかりで飽きた」みたいな。そういう考え方もあるかもしれない、と言いました。3冊目を書くときにも感じましたから。

 

皆さんはいくつかの場所は知っているからイメージが湧くでしょう。でも、そこに行ったことがない人に「そこに行くと、そのお寺があります。そのお寺の前に○○がある」と説明しても、わかるかどうか・・・。

 

できるだけ楽しく説明するようにしましたが、それでも本についての批判は来ました。

「アンタは行って見てきたんだろうが、私たちにはあまり意味がない話だ。写真や地図を入れたら良かったのに」というような批判もありました。

考えなかったわけではありませんが、そうすると今度は本のコストが非常に高くなります。そもそも人は苦労して買い物しています。本が2倍、3倍の値段になったら売り上げはかなり落ちていたことでしょう。

 

人々が日本についてあれこれ知ったのはとても良いことでした。「日本」と言われたとき最初に思い浮かぶ人の1人になりました。大学の講演に呼ばれています。いろいろな県にある日本との友好団体にも呼ばれています。

 

時々、「知り合いになりたい」と言う人たちがいるので、職場の住所を教えています。職場に来る人たちがいるので、一緒にお茶を飲んでおしゃべりをします。

これは自分にとって非常に楽しいことです。そして、最も素晴らしいのは、人気があってよく知られた人や作家になることではなくて、小さいけれども誠実なグループがあることです。

日本に関心がある小さくて誠実なグループ、ほとんどは個人レベルになりますが、知り合って、おしゃべりすることができて、コンタクトを取れる人たちの存在。これは本当に楽しいことです。

 

 

ビリゲさん

最初に目標設定した読者層と反応があった読者層との間に違いはありますか。

 

 

オヌルさん

ターゲット読者層は特に何も設定していなかったので、すべての目標を達成したと言うことができると思います。

なぜなら「こんなのを書いて印刷したが、本当に売れるのだろうか」と疑いの気持ちがあったからです。

 

本が初めて出された頃、こんな出来事がありました。

ある日友人から電話がかかってきたのです。「ハサン・プルルが新聞に本のことを書いている」と知らされました。ハサン・プルルは、先日亡くなったジャーナリストです。

もう倒れそうになりました。どうしたらこんなに短い間に本のことを知って、買って、読んで、コラムに書いたのか。嘘のようでした。

そして、このことは自分の中に新たな気持ちを生み出しました。それは、本当に興味がある人たちはこれを買って読むのだということです。

 

非常に幅広い読者層ができました。

例えば大学の工学部の学生。日本の技術や生産システムに関係するからです。もちろん、日本語日本文学科の学生もたくさんいました。アニメや漫画やコスプレ好きの人たちもいました。皆、日本を知るために読んでくれました。かなり幅広い層の人たちが読んでくれました。

 

トルコには、その時々によってさまざまな流行があります。

例えば私の本が出た頃は、皆、自己啓発本を追いかけていました。心の安らぎを見つけようとか、どうやったら自分を成長させることができるのか、とかといった本です。

 

自己啓発本が流行っていたとき、信じられないような感想が届きました。

「本屋に行きました。鬱な気持ちになっていたので、自己啓発の本を買うつもりでした。新作コーナーの中でオヌルさんの本を見かけて、買いました。あまりにもおもしろくて、心が軽くなりました」と言われたのです。こういうことを聞くのは非常に素晴らしい気分です。

 

 

 

 

《三部作を通して伝えたかったこと》

 

エブルさん

本を書くとき、大事にしていたことは何でしたか。

興味を引くテーマを選ぶことはもちろんですが、それ以外では、例えば、トルコ語の使い方は非常に素晴らしいです。努力なさったことは明らかです。

 

 

オヌルさん

ありがとうございます。

 

 

エブルさん

他に大事になさっていることや、「この本のここを見てほしい」というところはありますか。

 

 

オヌルさん

そうですね。トルコ語については、非常に素晴らしいところに気づいてくださったと思います。第一に極めて美しいトルコ語で書きたかったのです。自分でも頑張って、編集者とも力を合わせて頑張りました。

 

その次に気をつけたことは、楽しませることと情報を伝えることとのバランスを出来る限り保つことでした。

日本について、いろいろな学術書があります。ボズクルト・ギュヴェンチ先生やセルチュク・エセンベル先生など、非常に素晴らしい先生方の著書があります。でもそれは学術書です。

一方で、家でのんびりしながら読める本があります。そのうちの数冊は、名前は言わないほうが良いですが、「日本に行った。見て回った。歩いた。とても良かった。道は混んでいた」みたいな内容で・・・。

 

 

エブルさん

軽い感じ。

 

 

オヌルさん

非常にいい加減。私はこう考えたのです。「ふたつの間をつなぐものを絶対に見つけたい。読者には情報も笑いも提供したいと。

それで、所々にエピソードを挟んだり、説明のために間に作り話を入れたりしました。笑って息抜きをしてもらおうということです。

 

もうひとつ気をつけたことは、情報を提供するなら間違った情報を提供しないようにしようということでした。例えば、日本の歴史や芸術に関する情報です。そういう情報を書くところでは、情報源を何度も確認して、できるだけ間違えないようにしました。

もちろん「専門家だ」と主張するつもりはありませんが、間違った情報を書かないように非常に努力しました。

 

 

エブルさん

3冊の本を通じて伝えたいメッセージはありますか。行間から「日本は素晴らしい国だと言いたい」というようなメッセージはありますか。

 

 

オヌルさん

そうですね。1つ目は、本には何回か繰り返し書いて、序文にも書いたのですが、日本はとても違う国です。かなり違う世界、違う宇宙。そもそもそういう理由から本の表紙に「宇宙」と漢字で書くことにしたんですよ。「別の宇宙の世界のことを説明するよ」という意味合いで。

 

2つ目は、日本は対照の国だということです。目にするあらゆる成熟したものの逆のものも日本では可能です。そして、灰色のトーンのものもずっと見ることができます。

私も色々な固定観念を持ったまま日本に行きました。「全然生魚を食べない! 生魚なんか食べられるか」ということとか、「日本人は冷たい人で、友だちを作るのはたいへんだ!」とか。こういう固定観念がいつも頭にあります。残念ながらトルコ人はこんな風に分けて分類することが好きです。私たちには白と黒しかはありません。その間はありません。

 

自分のありとあらゆる固定観念が日本で崩されました。なので、本を書くときにいつも目標にしていたことがあります。それは、日本について語るとき、あらゆる反対のものは、ひとつの中で、調和の中で、寛容の中で、存在することができるのだということを説明しようということです。本にはこのような反対のものを表した例がたくさんあります。

 

こんな質問をよく聞かされます。「日本と言うと、着物を着た女性の絵が目に浮かぶ。その一方で、髪をオレンジとか青とかに染めてゴシックメイクした女性もいる。どちらが正しいのか」。どちらかが正しいとか、どちらかが有効とかと決めなければならないということはないのです。おもしろいのは、どちらも同じ女性だということです。日曜日にはコスプレしてお洒落して一日中原宿をぶらぶらする。その翌日には着物を着て別のパーティに行くのです。

トルコで私たちは分類するのにひどく慣れていますので、その2人の女性は同じ人かもしれないということさえも考えることができないのです。私はこのような固定観念をすべて崩したいと考えています。

 

 

エブルさん

それでは、日本の例を始めとして、人が頭の中にある固定観念を崩すことができるというような目的があるのでしょうか。

 

 

オヌルさん

それもしたかったです。日本はこの点で良い例だと思います。

 

 

メルべさん

本の中で、特に日本人に読んでほしいと思う部分はありますか。

 

 

オヌルさん

日本人は怒るかもしれませんが、2冊目の本の最初のところです。外国人として日本にいること、生活の難しさ、おもしろいところ、日本社会が外国人をどう認識しているか、外国人として我々が日本人をどう認識しているかについてすべて説明しました。

もちろん、ところどころ、嫌味や皮肉もほのめかしています。特にその部分を読むことを望んでいます。なぜなら、外国人が日本をどう考えているのかを日本人も知らなければならないからです。

この話はおそらく、アメリカ人や、イギリス人やフランス人の口から聞いているだろうと思います。彼らはこの点でひどく批判しています。アメリカ人が書いた日本人に関する本を何冊か読みました。外交危機さえも起こし得るものもあります。それさえも受け入れているのですから、我々もひとつやふたつくらい小さな批判や考えを聞くことは役に立つだろう、ということで。なぜなら、彼らを非難すべきではないからです。

350年間から400年間くらい世界に扉を閉ざした時期の後、世界に扉を開き、世界で一番大きくて重要な経済的、政治的な国のひとつになることは簡単なことではありません。

島国であることや均質な社会であることが与えるものがあります。もはや遺伝子にまで染み込んでしまった状態があります。それを破壊するのは簡単なことではありません。

例えば、日常生活に反映された昔から来た特徴があります。それを見て、それを知り、それを認識した上でさまざまな関係を築くことは大切だと思います。

そのことから、ひとりのトルコ人が書いた、日本にいたとき何を感じたのか、どう思ったのかについて読んでほしいと思います。

 

 

ビリゲさん

本の中で、日本の歴史について説明するときはいつも、トルコの歴史とも比べています。若者や外国人に対する見方とか、家庭のこととか、男女の関係とか。それを読んで、こんなことを考えたのですが、オヌルさんの本を通じて、トルコ人は日本を読み、日本人はトルコを読む、と言うことができますか。

 

 

オヌルさん

そうですね。「トルコ人が書いた」ということも、他の本との違いであってほしいです。

アメリカやヨーロッパの非常に多くの人たちが日本について書いていますが、このような違いがあります。

私がいつも言っているのは、トルコも日本も東の社会だということです。世界の東と西とでは本当に考え方が違います。しかし、一方は東の最果て、もう一方は西の最果てにある、ふたつの異なる社会です。言語の類似性もあって、文化的も一部似ているところもある社会です。どんなに遠かろうと。

なので、そういう目で読むことは、トルコとの類似点と相違点、さまざまな類似点を見ることも大切です。トルコ人にとっても、読む人がいるなら日本人にとっても。

 

 

 

 

《三部作の続きは・・・?》

 

ビリゲさん

4冊目は出ますか。700ページの原稿はすべて終わったのでしょうか。

 

 

オヌルさん

はい、終わりました。4冊目も考えましたが、大切な核の部分はほぼすべて3冊の本で語ったので、4冊目はおそらく取るに足らない内容や、読者の関心をあまり引かない内容に流れてしまうだろう、という結論に達しました。読者もあるところからは「ああ、もうわかったよ、日本は。3冊も書いたんだし。4冊目に何かあるのか?」と言われる可能性があるのではないか、というような気がしたのです。

 

少し余韻を残しておく必要があります。「スターウォーズ」のようにシリーズを続けていくことも可能ですが、いつまで持つのでしょうか?

3冊目を出したときにも感じたのですが、一部の人には「もういいよ。旅行の部分もできた。完結だ」と思われてしまいました。

4冊目は少し押し付けのようになってしまうのではないかと考えたのです。

 

書き残したテーマには、日本の映画や文学があります。日本は元々関心が低いテーマですから、4冊目に日本の文学について書いたとしても1パーセントくらいの人しか関心を持たないでしょう。難しくなります。

でも、ブログにはしばしば日本について頭に浮かんだことを書いています。

 

 

*** つづく ***

 

 

 

2020年1月1日 水曜日

文責: 浅野涼子

 

 

 

《お知らせとお詫び》

 

・この座談会の日本語文は、インタビュアーのエブル・オクヤルさん、ビリゲ・ボスタンさん、メルべ・アクスさんが訳したものを推敲しました。

 

・実は、この座談会は2015年12月27日に行われましたが、諸事情あり、発表が非常に遅れてしまいました。オヌル・アタオールさん、エブル・オクヤルさん、ビリゲ・ボスタンさん、メルべ・アクスさんをはじめ、関係者の皆様に多大なるご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。

 

(浅野涼子)

 

 

 



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