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【エルトゥールル号遭難事故から129年】 晴天のなか、串本で追悼式典

1890年9月16日に日本の和歌山県(わかやまけん)の串本町(くしもとちょう)で発生し、たった69人だけ助かり、587人が命を失うという大惨事となったトルコの軍艦エルトゥールル号の遭難事故から129年が経った。串本町では今年も追悼式典が行われた。

【エルトゥールル号遭難事故から129年】 晴天のなか、串本で追悼式典

 

 

 

 

 

 

 

 

串本町は天気予報の通り青空が広がり、晴れ渡る空の下、串本町樫野崎(かしのざき)にあるトルコ軍艦遭難慰霊碑の前で追悼式典が行われた。

追悼式典には、日本駐在のトルコ共和国特命全権大使、ハサン・ムラット・メルジャン大使も参列した。

 

 

 

 

 

最初に黙祷が捧げられ、トルコと日本の国歌が斉唱された後、東京ジャーミイのイマーム(指導者)のムハンマド・ルファット・チナルさんと、名古屋・岐阜モスクのイマーム(指導者)のセダット・セリムさんが追悼の祈りを捧げた。

 

 

 

 

 

 

 

串本町の田嶋勝正(たしま かつまさ)町長は、「エルトゥールル号遭難事故はまことに痛ましい出来事だったが、エルトゥールル号の将士の尊い犠牲と島民の献身的な救助活動が礎となり、現在に至る両国の友好関係を支えている。(姉妹都市メルシンへの訪問などの)交流が続いているのは遭難事故に始まる友好の証である。この地でエルトゥールル号の将士の霊を守り、助け合う心により築いてきた両国の歴史を語り継ぎ、両国の絆を大切に育てていくことが現在に生きる我々の使命である。わたしたち串本町民は、勇敢なエルトゥールル号の将士が命を賭して果たした使命を受け継ぎ、トルコと日本の友好の架け橋の町としてトルコと日本の友好の町づくりを推進し、両国の友好関係の一助となるよう尽力することを誓う」と弔辞を述べた。

 

 

 

 

 

田嶋町長に続いて追悼の辞を行ったメルジャン大使は、「エルトゥールル号の将士のことを思うたびに彼らのことが脳裏から離れなくなり、涙があふれてくる。しかし、それと同じくらい我々を幸せにし、胸を熱くさせるのは、雨が降ろうが風が吹こうが嵐が起ころうがかまうことなく一心に、助かった将士を介抱したり面倒を見たりした大島の人々である。大島の人々の尽力は一瞬たりとも忘れることはない。今日、トルコと日本の友好が深く根ざした絆で結ばれているのは、大島の人々のおかげである。血の最後の一滴までこの友好を守ることは我々の務めだと思ってほしい。田嶋町長と共に、両国の友好のために一心に活動する」と述べた。

 

 

 

 

 

その後、メルジャン大使、田嶋町長夫妻、駐日トルコ共和国大使館駐在のイーサ・ムラット・アカルス武官夫妻をはじめ、参列者全員が献花し、追悼歌を斉唱した。

 

 

 

 

 

追悼式典の後、串本町トルコ文化協会から参列者に、トルコのふわふわパン「アチマ」、タイヤ型のごまつきパン「シミット」、チャイ、冷たい飲みものがふるまわれた。

 

 

 

 

 

 

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今では串本町公式の毎年9月16日の伝統となったエルトゥールル号の追悼式典は、もともとは2002年に串本町トルコ文化協会により始められた。トルコ軍艦遭難慰霊碑の前で追悼歌と踊りを捧げる形で行われていた串本町トルコ文化協会のてづくりの追悼式典は、その後串本町に引き継がれた。

串本町トルコ文化協会は、トルコ軍艦遭難慰霊碑とその周辺の清掃も定期的に行っている。

 

 

 

 

 

 

 

2019年9月16日 月曜日

文責: 浅野涼子 (ryoko.asano@trt.net.tr)

 

 

 

 



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