「トルコ外交政策へのまなざし」 第25回

トルコ・レバノン関係とレバノンのトルクメン人

「トルコ外交政策へのまなざし」 第25回

アタテュルク大学国際関係学部ジェミル・ドアチ・イペク博士著

 

レバノン内戦と地域の政情不安が原因のトルコとレバノンの関係の停滞は、2000年代の始め以降変化しました。二国関係の重要な要素は、レバノンのトルクメン人です。私たちも今回、トルコ・レバノン関係とレバノンのトルクメン人を分析します。

レバノン内戦と中東の政情不安が原因のトルコとレバノンの関係の停滞は、2000年代の始め以降変化しました。レバノンの元首相の故ラフィク・ハリーリ氏が2004年にトルコを訪問してから加速した二国関係は、相互の訪問により強化され続けています。

トルコは、2006年のイスラエル・レバノン戦争の後にレバノンの緊急復興と再開発を支援しました。2008年にドーハ協定が結ばれてから終了した政治危機の解決において建設的な役割を果たしました。国連レバノン暫定駐留軍(UNIFIL)に大きく貢献しました。ラフィク・ハリーリ元首相に対する暗殺を明るみに出すために、国連安全保障理事会の決議により結成されたレバノン特別裁判所に財政支援を行いました。

2010年にビザ適用が相互に免除されたことも、両国の国民の間の行き来が増える可能性をもたらしました。2012年3月23日に開かれたベイルート・ユヌス・エムレ文化センターにより、トルコ語をはじめ、レバノンにいるトルコ人とトルクメン人のコミュニティが文化的価値を再び得る機会を持っています。

トルコ・レバノン関係にとってとても重要な要素の1つは、レバノン在住のトルコ人の存在です。レバノンのトルコ系民族のルーツは12世紀にまでさかのぼります。しかしトルコ共和国がレバノンのトルクメン人について初めて公式に情報を得たのは1989年になってでした。1989年に、レバノン軍の兵士だったトルクメン人のハリト・エサド氏が任務中にトルコ語を話しているのに司令官が気付きました。将校がハリト・エサド氏をトルコ大使館に連れて行き、初めてトルコ側との面会が実現しました。駐ベイルート・トルコ大使だったイブラヒム・ディジレリ氏と面会したエサド氏は、自分はカヴァシュラ村出身のトルクメン人だと名乗りました。大使はその村を訪問し、初めて繋がりができました。1989年のレバノンは内戦中だったため、大使の帰還にはトルクメン人がその護衛を務め、トラブルスまで同行しました。この最初の出会いの後、ベイルートに派遣された新たな大使がアッカル地方の2つのトルクメン人の村を訪問し、この訪問はその後、毎年行われるようになりました。長年、レバノンのトルクメン人として、アッカル地方に暮らしている人々だけが知られていました。カヴァシュラ村の人々の案内により、バールベック地域のトルクメン人と2007年に、ディニエ地域のトルクメン人と2011年になって、初めての繋がりができました。

今日レバノンにいるトルクメン人と、オスマン朝の遺産は、8種類に分けて分析することができます。アッカル・トルクメン人、バールベック・トルクメン人、ディニエ・トルクメン人、クレタ・トルクメン人、レバノンに暮らすトルコ共和国の国民、アナトリアにルーツを持つ部族、シリア・トルクメン人、チェルケス人です。

アッカル地方は、レバノン北部にあります。アッカル地方にはカヴァシュラ村とアイダムン村という2つのトルクメン人の村があります。カヴァシュラ村は、トルコ語を守り、トルコ共和国と初めての関係を築いた村だったので、重要です。人口は3000人ほどで、全員がトルクメン人です。人口5000人のアイダムン村には3500人ほどのトルクメン人が暮らしています。その近くにある人口5000人のマスタ・ハサン村にもおよそ350人のトルクメン人が、人口1200人のアル・ディッバビエ村には50人のトルクメン人が暮らしています。アッカル地方に暮らすトルクメン人の数は7000人以上です。

バールベック・トルクメン人とトルコ共和国の出会いは、アッカル・トルクメン人が、バールベック・トルクメン人の村にトルコの関係者を案内したことで2007年に実現しました。この地域のトルクメン人は、5つのトルクメン人の村とヘルメル近郊の1つの村に暮らしています。ドゥリス村に700人、セイミエ村に1200人、ナナニエ村に900人、ハディディエ村に600人、マシャリ・アル・カー村に500人の合計4000人近くのトルクメン人が、バールベック地方に暮らしています。

ディニエ地方に暮らすトルクメン人とトルコ共和国の最初の関係は、バールベック・トルクメン人の後に2011年に築かれました。この時まで、トルコ共和国も、他のトルクメン人も、ディニエ・トルクメン人について何も知りませんでした。ディニエ地方では、ハッヴァラ村に600人、グルハイエ村に100人ほどのトルクメン人が暮らしています。

今日、1万人近くのクレタ・トルクメン人が、レバノンに暮らしていると推測されます。また、ベイルートに経済的理由により移住した5万人ほどのトルコ共和国の国民が、そこに暮らしています。トラブルスとアッカル地方には、町の重要な名士として知られ、オスマン時代からいる大家族がいます。トラブルスには、テュルクマニという苗字を持つ、お互いに親戚の200の家族だけがいます。テュルクマニ家のメンバーが設立した会合「レバノン・テュルクマニ会」も活動を続けています。オスマン朝とロシアが争った露土戦争(1877-1878)の後に中東に居住させられたチェルケス人も、トルコとの繋がりを維持しています。

シリア内戦のためにレバノンにも多くのシリア・トルクメン人が移住しました。アレッポとラタキアに暮らすトルクメン人は、最も近い国であるトルコに移住しました。ホムスとタルトゥースに暮らすトルクメン人も、地理的に最も近く、親戚関係にあるアッカル地方とバールベック地方のトルクメン人の地域を選びました。何千人ものトルクメン人がアッカル地方に移住する中、バールベック地方に移住したトルクメン人のグループもいました。ダマスカスに暮らすトルクメン人も、非常に多いとされる人数がベイルートやトラブルスに移住したことが知られています。

レバノンのトルクメン人を見ると、転換期は2010年にレジェプ・ターイプ・エルドアン大統領がレバノン訪問の際にカヴァシュラ村の近くで行った集会でした。トルコがトルクメン人の後ろ盾となっているとの見方を与えることで、トルクメン人の地位やイメージに良い方向で影響を与えました。2013年にベイルートに開設されたトルコ文化センターのユヌス・エムレ・インスティトゥートと、2014年に開設されたトルコ国際協力調整庁(TİKA)が、レバノンの協力によりトルクメン人への関心や支援の拡大において重要な役割を果たしました。トルクメン人の状況は改善されてはいますが、レバノンには今でも何らかの政治的代表機関や強力な市民団体はありません。今後、この方向でも活動が行われる必要があります。



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