「アナトリアの伝説」 第44回

今日は、エディルネの「クルクプナルの伝説」をお伝えします。

「アナトリアの伝説」 第44回

エディルネはトルコの最西端の都市です。大建築家ミマル・シナンが自分の最高の作品だと言ったセリミエ・モスクがあることで注目を浴びるエディルネは、イスタンブールの征服のずっと前に、オスマン朝の首都にもなりました。ここにあるオスマン朝の宮殿と癒しの場と呼ばれる、歴史ある医学大学も有名です。今から何百年も前には、この地で、音楽療法による精神病の治療が行われていました。

エディルネ地方はオスマン時代の1346年にトルコ族によって征服されました。その後まもなく首都となったエディルネの入り口付近にある牧草地で、この地域を調べていた40人の一団が休憩を取りました。彼らは食事をし、陽気な民謡を歌いました。この一団にいた2人の兄弟が、レスリングを始めました。

トルコ式のレスリングにおいて全身に油を塗ることは非常に大事なことです。レスラーはクスベトという皮で作られた半ズボンをはきます。広場に用意された釜から油を取り、体に塗ります。レスラーはお互いの背中にも油を塗ります。レスリングの途中に油を塗る必要を感じたレスラーは、審判と対戦相手の許しを得て再び体に油を塗ります。勇敢さ、正直さ、対戦相手への敬意は基本です。

伝説によると、この牧草地で体に油を塗ってレスリングを始めた2人の兄弟は、どうしても勝敗をつけることができませんでした。何時間も経ち、夕方になりましたが、レスリングはなおも続きました。友人たちはこの2人を見て拍手喝采しました。兄弟も興奮してレスリングを続け、そのうち夜になってしまいました。

兄弟はろうそくの火の中でレスリングを続け、そしてついに息が切れた2人はそこで死んでしまいました。友人たちは2人の死を大いに悲しみました。旅仲間を失った一団は、2人がレスリングをした場所に作った墓に2人を埋葬しました。一団は墓の前に1輪のバラを植えてその地を去りました。

しばらく後に、墓参りのためにそこに戻った一団は、2つの墓の間から泉が湧き出ているのを見て驚きました。この牧草地に、この40人の一団から名を取って、「クルクプナル」(40人の泉)という名前が付けられました。1361年にスルタン・ムラト1世は、この40人の名誉のために、この地でレスリングの試合を行いました。

その日から今まで、毎年同じ日に、トルコで最も重要なレスリング大会が、歴史的なクルクプナルの地で、何千人もの人々の参加により開かれています。656年の歴史を持つクルクプナルのヤール・ギュレシ(油を塗るレスリング)は、世界中にも知られています。この大会で、レスリングの長が選ばれます。選ばれた人は、大きな名声と尊敬を勝ち取ります。クルクプナルの長となるために、とても真剣な競技が繰り広げられます。毎年7月15-16日にエディルネで開かれる歴史的なクルクプナル・ギュレシを、いつかきっと見てみて下さい。


キーワード: アナトリアの伝説

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