「アナトリアの伝説」 第32回

今日は、イスタンブールの重要な歴史的遺産の1つ、チェンベルリタシュとその伝説をお伝えします。

「アナトリアの伝説」 第32回

イスタンブールのベヤジット・モスクとイスタンブール大学の入り口の前からアヤソフィアに向かってまっすぐ歩いていくと、昔からある丘のおそらくは最も高いところにあるチェンベリルタシュにぶつかります。

チェンベルリタシュは、エジプトの建築に多くの見本があるオベリスクの1つです。フランス、イギリス、アメリカにもある見本のように、エジプトから運んでこられた多くの円柱は、権力の象徴とみなされていました。スルタンアフメトにもこのオベリスクの見本があります。

イスタンブールを首都に定めて構築し、町にその名を与えたローマ皇帝・大コンスタンティヌス帝は、ローマにあるアポロン神殿から取ったチェンベルリタシュをイスタンブールに運んで来させ、この地に立てました。

オベリスクはローマ時代に重要な出来事を人々に伝えるために使われたある種の写真アルバムのようにみなすことができます。円柱の上に線状に伸びる部分には重要な戦争の様々なシーンや勝利の様子がレリーフとして描かれています。これは後の時代に戦争や勝利の様子を伝えるために建てられたものです。特にイスタンブールの広場にやって来る人々が、このオベリスクの高さや壮大さに感化され、味方に誇りを、敵には恐れを与えるように設計されました。

大コンスタンティヌス帝はこの円柱の上に自分の銅像を造らせました。コンスタンティヌス帝の母親ヘレナがあちこちから集めた聖なる調度品を宝物箱に集めました。預言者イエスの十字架や白布など、宗教的な聖なる遺品は権力者によって購入されていました。集めた多くの遺品により名声を得たコンスタンティヌス帝は、死後自分の代わりにやって来る者たちが、これらの遺品に対し必要な敬意を払わないだろうと考え、これらの聖なる遺品をチェンベルリタシュの下に造らせた宝物庫にしまいました。

後の時代の一部の皇帝も、コンスタンティヌス帝に倣って自分の銅像を立てさせ、その伝統を守りました。チェンベルリタシュが持つ聖なる預かり物の伝説は、全世界に広まりました。

11世紀になると、円柱の上には銅像の代わりに大きな十字架が取り付けられるようになりました。十字軍遠征の際に、ヨーロッパの神父はキリスト教徒に向かって、預言者イエスの聖杯がこの円柱の下にあり、この聖杯によって神聖化された者は天国に行くと説いていました。この伝説に感化された何千人もの人々が探索に繰り出し、イスタンブールの前にやって来ました。ビザンツ帝国はエルサレムを征服するために出発していながらイスタンブールにやって来たこの十字軍に同情し、城門を開いて市内に招き入れました。チェンベルリタシュを訪れようとしていたこの十字軍は、目的を放り出して町を略奪し始めました。イスタンブールの歴史上最大の破壊行為は、1204年に起きたこの略奪でした。全イスタンブール、そしてアヤソフィアは、この略奪を免れることができませんでした。

十字軍の行った残虐行為により、征服王スルタン・メフメト2世がイスタンブールを包囲した際、西欧の支援を受ける代わりにトルコ人の支配が容易に受け入れられることになりました。後に多くの火災を経験してきたチェンベルリタシュは、オスマン時代に赤色になった円柱が定期的に銅の輪を取り付けられて保護されたことにより、今日の名前であるチェンベルリタシュに代わりました。

伝説によって名前が形作られたこの円柱は、イスタンブールの真ん中で、訪れる人を待っています。


キーワード: アナトリアの伝説

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