「アナトリアの伝説」 第31回

今日は、エルズルムの象徴の1つ、チフテ・ミナーレリ・メドレセの伝説をお伝えします。

「アナトリアの伝説」 第31回

アナトリアのセルジューク朝スルタン・アラーエッディン・ケイクバトの娘フナド・ハトゥンは、エルズルムに宗教的な寄進としてメドレセ(昔の大学)を建てることにしました。

昔の大学では、1つだけではなく、同時に5つの分野の教育が行われていました。医学、数学、天文学、幾何学、神学など、いろいろな分野で教育が行われていました。メドレセを卒業した者は、大学の先生である「ミュデッリス」となり、これは今日の大学教授に当たります。教育のために必要な資金があれば、建築士、親方、その他の職人が選ばれました。

フナド・ハトゥンのメドレセは1265年に開校されました。セルジューク朝式のこのメドレセは、2階建てでした。入口であるモニュメント付きの門のすぐ上には2つの半分の大きさのミナーレ(イスラム建築の尖塔)がありました。

伝説によれば、このメドレセの建設に関わったミナーレの親方が、とても信用していた弟子にミナーレの1つを作るよう言い、残りのミナーレを自分が作ると言いました。

建設が始まり、ミナーレがちょうど今日ある姿になったときに、自分の仕事の出来栄えに大いに自惚れた弟子は、ミナーレに取り付けられた足場からもう一方のミナーレで作業をしていた親方に、「親方、私に水を持ってこい」と言いました。これを聞いた親方は手が滑り、持っていたこてを落としてしまいました。弟子のこの厚かましさをどうしてくれるものか、わかりませんでした。そしてついに弟子に向かって言います。

親方だった私は弟子になってしまった

ここから飛び降りてしまおう

足場から飛び降りた親方はそこで死んでしまいました。これを見た弟子は自分の厚かましい振舞いを後悔し、

弟子だった私は親方になってしまった

ここから飛び降りてしまおう

と言って飛び降ります。親方と弟子の悲しい死によって、ミナーレの建設は半分のままになってしまいました。誰にもミナーレを完成させる勇気はありませんでした。

この事件は人々の間の伝説ですが、どんな理由でそうなったのか知られていないこの2つのミナーレが半分のままになっているのを、エルズルムを訪れるすべての人が目にしています。

この伝説の他の言い伝えによれば、スルタン・アラーエッディン・ケイクバトの時代に戦争が起こり、ミナーレを作っていた親方が「まずは祖国」と言って戦争に赴き、戦死しました。その親方の思い出にとミナーレは半分のままにされ、完成されなかったことになっています。

このミナーレを持つ素晴らしいセルジューク朝の建築は、エルズルムの最も重要な観光地の1つであり続けています。いつか皆さんがエルズルムに行くことがあれば、このメドレセを訪れてみて下さい。


キーワード: アナトリアの伝説

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